学生歌集

学生歌制定経過

概要

昭和24年、終戦を経て大学も全国一斉に学制が改まり、群馬大学も現在の形になりました。
落ち着いて1年ほど経つうちに、旧制高校のように皆で歌える学生歌が欲しいという動きが当時の医学部を中心に起り、教・医・工の三学部の学生自治会や各学部学生委員会等の手で学生歌制定委員会が発足しました。
昭和26年から昭和33年頃にかけて、計3回の公募が行われ、それぞれ学生歌「ああ建学の」、応援歌「北関の雄」、学生歌「山脈さやかに」、が誕生しました。さらに昭和48年には、群馬大学教育学部創立百周年事業の一環として、記念歌「あかつき告げる」が作られました。ただ、これらの学生歌制定経過については、群馬大学各学部の百年史等には記録されておらず、学生歌等を編曲された塚本氏(現本学名誉教授)の取材により判明したことが多いのです。これは企画時点において、学生自治会の自主的立案の色合いが濃かったからであると思われます。
なお、工学部には昔、校歌が2曲ありました。一つは大正8年、前身の桐生高等染織学校校歌「畏(おそれ)き大神」であり、もう一つは応用化学科増設にともなう校名変更により新たに出来た大正9年制定、桐生高等工業学校校歌「関東八州」です。
後者は一部歌詞を修正した上で、今日も工学部の歌として歌い継がれています。

(解説:教育学部音楽講座)