色と言葉の矛盾を解消する脳機構を解明 「あお」の色を答えるには前頭前野と小脳のループ回路が重要
群馬大学情報学部教授の地村弘二は,慶應義塾大学大学院理工学研究科大学院生の岡安萌(研究当時),同 犬飼天晴,高知工科大学脳コミュニケーション研究センター教授の中原潔,同 特任教授 竹田真己らとの共同研究で,色と言葉の情報が矛盾するときに生じる「ストループ効果」は,色を答えるときではなく,色がついた単語を知覚するときに起こり,その解消には,大脳の前部にある前頭前野と,小脳の外側にある皮質が含まれるループ回路(前頭・小脳ループ)が重要であることを発見しました.今回の結果は,機能が比較的単純であると考えられてきたヒトの小脳が,前頭・小脳ループを介して,ヒトに特有な言語や,認知の制御のような高度な心理機能に関連していることを例示しています.この研究はイギリスの学術論文誌Nature Communicationsで1月11日発表されました.
1.本研究のポイント
- ストループ効果における言葉の影響を知覚と反応の段階で操作し,脳活動を計測した.
- 言葉の知覚に依存して,左大脳の前頭前野と右小脳の皮質が活動した.
- 小脳の活動は前頭前野の活動を抑制し,前頭前野の活動は小脳の活動を増大させた.
2.本研究の概要
【ストループ効果とは?:色と言葉が矛盾するときの認知の干渉】
「あお」と赤色で「あお」という単語が書かれているとき,色と言葉の情報が矛盾しているため,その色(赤)を答えることは,「あか」(赤色で「あか」)と書かれている場合と比較して難しいことが知られています(図a).この現象は1935年にアメリカの心理学者のストループによって報告されたことから「ストループ効果」と呼ばれています.ストループ効果の長い研究の歴史は,この効果が強固で再現性が高いことを示してきました.何色であるかという情報(光の波長)は眼球の内側の網膜で得られ脳に伝わる一方で,言葉の情報は,ヒト脳の多階層で柔軟な高次の情報処理を経て得られると考えられています.したがって,網膜で符号化される外界の基本的な情報が,ヒトに特有な高度な心理機能に干渉されていることになります.この意外でかつ強固な干渉を不思議に思った研究者たちは,その背後にあるしくみを知りたいと思い,多くの研究をしてきました.しかし,この効果が脳内でどのように生じ,どのように解消されていることは依然として不明でした.
【何をしたのか?:ストループ効果の言語性を操作して脳活動を計測】
そこで本研究グループは,ストループ効果における言語の役割を,知覚(見る)と反応(答える)という段階に分離し,干渉が解消される時の脳活動を機能的MRIで計測しました.ヒト被験者(118人)は,機能的MRI撮像中に,標準的な「ストループ課題」(図b左)または知覚に言語情報を含まない「スイミー課題」(図b右)を行いました.「スイミー」という名前は,小さい魚がならんで大きな魚に見えるという絵本(参考文献1)からつけられています.すなわち,複数の小さい二等辺三角形の並び方が,より大きい相似の三角形の外形を形成するように配置されました.そして,外形または個別の三角形の向きを答えることが要求されました.ここで,外形と個別の三角形の向きが異なると,正解を答えるのは難しくなり,ストループ効果のような知覚の干渉が生じます.しかし,スイミー課題では言語の情報が含まれていないことが重要です.そして,被験者は,正解を声に出して(図c左)またはボタンを押して(図c右)答えました.つまり,正解を答えるときにも言語を含む条件(口頭)と含まない条件(ボタン)がありました.
【何がわかったのか?:ストループ効果の解消には前頭前野と小脳のループ回路が重要】
ストループ課題では,大脳左半球の外側(がいそく)前部にある前頭前野が大きく活動しました(図d上).加えて,右半球の外側にある小脳皮質にも大きな活動が観察されました(図d下).そしてこの傾向は,口頭で答えても,ボタンで答えても同様でした.一方で,スイミー課題では,ストループ課題のような半球間の差は観察されませんでした.これらの結果は,ストループ課題における左前頭前野と右小脳皮質の活動が,言語の知覚に依存していることを示しており,古くから知られている,言語の機能がヒト大脳の左半球に優位であることと一致しています.
大脳と小脳は,脳の深部の領域(神経核)をいくつか経由して,大規模なループ状の神経回路を形成していることが解剖学的・生理学的に知られています(図e).この「大脳・小脳ループ」は,ヒト以外の哺乳類でも観察されており,大脳新皮質と小脳皮質のあらゆる領域が対になってループ回路を構成していると予想されています.このループ構造は,大脳と小脳で左右が交差していることが知られており,今回の左前頭前野と右小脳の活動と一致しています.
そして,ストループ効果が生じるときに,左前頭前野と右小脳の信号伝達の様式を調べてみると,前頭前野から小脳は興奮性であり,小脳から前頭前野は抑制性であることがわかりました.生理学では,小脳皮質からの神経情報の出力が,プルキンエ細胞からの抑制性信号だけであることが知られています.本研究グループは,ストループ効果におけるこの抑制性信号は,プルキンエ細胞の活動に由来しているのではないかと考えています.
これまでの大脳・小脳ループの研究では,解剖学な回路,または非ヒト動物でも観察される感覚・運動機能の回路に焦点が当たっていました.しかし本研究は,ヒトに特有な高度な認知や言語の機能においてもループ回路が関わることを示し,大脳・小脳ループの研究領域を大きく拡張しました.
本研究の一連の結果は,脳における生理学・解剖学・心理学で知られている主要な知見と矛盾がなく,混迷していたストループ効果に関わる脳機構の研究に一定の道標を与えたと思っています.しかし本研究には,長い歴史があるストループ効果の研究といくつかの点で食い違いがあり,多くの研究者によって検証されて欲しいと思っています.そこで,全世界の研究者が本研究のデータを解析できるよう,本研究で収集・解析された全被験者の全脳機能的MRIの時系列データと解析スクリプトを公開しています(関連リンク参照).
【この先何をするのか?:結果の一般性と信頼性を検証し,「世界観」が脳にどう表現されているのかを知りたい】
ヒトの脳科学・心理学では,高次の心理機能には大脳前頭前野が主要な役割を果たすと考えられてきましたが,今回の結果は,小脳も含めたループ回路が重要であることを示唆しています.しかし,本研究グループが主張しているループ回路は,観察が間接的で,脳領域や機能が限局されています.そこで,より直接的な観察方法と信頼性の高い解析で,一般性と信頼性を確かめたいと思っています.現在,大規模なヒト脳画像データベースを用いた解析で,小脳から大脳への抑制性信号の信頼性を検証しています.また,精緻な機能的MRIの撮像と解析を用いて,他の心理機能に関連する大脳・小脳の活動を調べています.さらに,ヒト以外の動物種で神経細胞レベルの回路の操作と計測をしたいと思っています.
本研究グループは,1) 小脳には,経験や学習によって得られた外界と自分の模型(モデル)が,「世界観」として埋め込まれており,2) 経験に基づいた世界観が役に立たない未知の環境に遭遇したときに,前頭前野の制御機構がループ回路を介して小脳の世界観を補完し,3) その経験をもとに小脳の世界観が更新され,4) この循環がヒトの豊かな心を形成する,のではないかと考えています(参考文献2).これらの仮説を地道に検証しながら,大脳と小脳はなぜ別なのかという問いに答えていきたいと思っています.
3. 原論文情報
Okayasu M, Inukai T, Tanaka D, Tsumura K, Shintaki R, Takeda M, Nakahara K, Jimura K (2023) The Stroop effect involves an excitatory–inhibitory fronto–cerebellar loop. Nature Communications 14, 27.
(参考文献)
[1] Lionni L. Swimmy (1963) (日本語訳:レオ レオニ作,谷川 俊太郎訳,スイミー 小さなかしこいさかなのはなし,好学社,1986).
[2] Ito M (2008) Control of mental activities by internal models in the cerebellum. Nature Reviews in Neuroscience 9, 304-313.
4. 関連リンク
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